hammerkammerの日記

アウトプット用で始めました。文章がめちゃくちゃだったらすみません

海を感じる時

中沢恵美子は同じ新聞部の先輩高野洋にある日キスをされる。お互い好きだった訳ではない。しかし、そのキスをきっかけに恵美子は洋にのめり込んでいく。恵美子の母は夫に先立たれ、また義母からも嫌がらせを受けており、そんな母にとって恵美子は自分が唯一社会にその価値を認めてもらえる存在であり、恵美子を自分の分身のように感じていた。しかし、その愛情はコミュニケーションのような非認知的な愛情というよりは勉学に力を注ぐといった認知的な無機質な愛情だった。洋は母とは対照的で人間臭くそこが恵美子の自身も気づいていなかった愛情への飢えを刺激したのだろう。恵美子は社会に出て一人の独立した女性になりたいと思っていたが、洋の前ではそんなものは何の意味も持たなかった。
恵美子はどんな形であれ洋に求められたいと思うが、洋はそんなつもりでなかったのに、その気にさせてしまって申し訳ないと思うと同時に会えば体を求めてしまう自分に嫌気が差し、これ以上自分を嫌いになりたくないとどんどん恵美子から避けていく。しかし、恵美子はそんなのお構いなしにある種ストーカーと言って差し支えないほどに自分の気持ちを前面に押し出して行動する。
そんなある日、母に洋との関係がばれてしまう。母は自分の分身のように思っていた恵美子に女を感じ激昂する。そんな状態は数か月にも及ぶ。そして、母は夜の海に向かって死にに行こうとする。恵美子は止めようとするが母は歩き続ける。恵美子は轟轟と波打つ辺り一面の暗く深い海を怖ろしく、また生臭く呪いに満ちているようだと感じた。そして自分の中にも同じように海があるのを感じた。
 
とても情景描写が細かく綺麗で詩的な作品だと感じた。一方で読みづらくて頭に入ってこなかった。単に自分の読解力が不足しているせいかもしれないし、もしくは描写が細かすぎて本旨の邪魔をしているせいかもしれないとも思った。レビューを見ていると共感できるという声や思春期の教科書にしたかったという声もあった。恐らく女性なのだろうと思った。私は海の中に自分を感じるということはないので共感は出来なかったが、反面女性の内面というのがのぞき込めた気がして、とても興味深い作品だった。
この作品のテーマを決めるなら月並みだが「愛」だと思う。それは男女間の愛でもあるし、親子間の愛でもある。この作品は登場人物が少なく内容を大きく分けるなら恵美子と洋、恵美子と母に分けられる。私は親になったこともあり特に親子間の愛、恵美子と母の関係性の方が読んでて考えさせられた。恵美子の母は無機質な愛情しか注げなかったが、それも無理からぬ事なのかもしれない。夫に先立たれ、義母は意地が悪い。女性の社会的地位はまだまだ低く、周囲の手助けも望めない。そんな状況の中で誰が何の疑念もなく明るく子供に接することが出来るだろうか。この小説は1970年代に書いたものらしいが、2021年の現在にも十分通じるものがある。というかほとんど変わってないのではないかとさえ思える。現在はSNS等、社会と繋がることは容易になったが核家族化は進み、子供の関わるコミュニティは狭くなっている。私達は今一度子供は社会で育てるという意識を持ち、今の社会でどうしたらそれが出来るのかを考えていくべきではないだろうか。